第2話:止まった時間の中で
「今日も、ここ?」
「うん。ここがいちばん落ち着くから」
静かな森の片隅。夜のフィールドにかすかな風の音が流れ、仮想空間とは思えないほど、心を穏やかにさせてくれる場所。
SOU――奏は、毎晩のようにそこに現れて、悠真のアバターの隣に腰を下ろした。
リアルで会話したことなど数えるほどしかない。だけど今は、画面越しの名前を見つけるたびに、悠真の胸がほっとする。
それはきっと、奏も同じだったのだろう。
「今日は、……少しだけ話してもいい?」
ふいに奏が言った。
「うん。ゆっくりでいいよ。聞かせて」
しばらくの沈黙のあと、画面に文字が打ち込まれはじめる。
「社会人って、もっとこう、キラキラしたものだと思ってた。忙しくても、誰かと笑って、成長して……そういうの、憧れてた」
「でも、実際はちがった。息ができないくらい、窮屈で。飲み会、チームプレイ、上司の顔色、納期、理不尽な評価……全部、うまくやらなきゃって思って、疲れ果てた」
「気づいたら、朝起きることも、外に出ることも、怖くなってた」
ひとつひとつの言葉が、ナイフのように胸に突き刺さる。
悠真はただ、「わかる」なんて安易には言えなかった。ただ、黙って隣にいた。
「逃げたって思われても、仕方ないよ。でも……俺、もう限界だったんだ」
その言葉に、悠真の目の奥が熱くなる。
(誰も気づかなかった。……俺も、気づけなかった。あの頃、会社で見かけるたびに、辛そうな顔してたのに。声、かけられなかった。ごめん)
しばらく沈黙が落ちた後、奏がぽつりと呟いた。
「ここでなら、誰でもない自分でいられる。逃げてるって言われたら、反論できないけど……でも、ここがなかったら、俺、もう……」
そこまで言って、奏は言葉を切った。
そしてほんの少しだけ、画面に小さな笑顔の絵文字が打ち込まれる。
「君が来てから……ちょっとだけ、外のこと考えるようになった」
「本当?」
「……うん。最初はウザいって思ってたけど、今は、ちょっと楽しみにしてる自分がいる」
その一言に、悠真の胸がじんわりと温かくなる。
仮想世界の中でも、心はちゃんと、伝わっていた。
(俺も、ここでなら――少しずつ、本当の自分を見せられる気がする)
「……俺、ゲーム超下手だし、正直いまだに操作わかんないとこある。でも、君と話すために来てるから」
「ふふ。知ってたよ」
「やっぱり?」
「うん。でも……そういうの、ちょっとだけ、嬉しいと思ってる」
画面に浮かぶその言葉に、悠真は思わず天井を仰いで目を閉じた。
こんなに、心の奥までまっすぐ刺さる言葉があるなんて。
それが奏からのものだということが、何より嬉しかった。
(もう少し、もう少しだけ……このままでいられたら)
そう願った夜だった。
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