第3話:名前のない誰かに、心が動いた夜
ログインすると、YUMAはもうそこにいた。
静かな夜の森。二人だけの秘密の場所。
待っていてくれることが、こんなにも胸を温かくするなんて、奏は昔の自分では想像もできなかった。
「今日、ちょっと早いね」
「うん。なんとなく、君と話したくて」
その一言に、なぜか胸がざわつく。
画面越しの言葉ひとつで、こんなにも心が揺れる自分に、戸惑いすら覚える。
「ねえ、YUMAって、どんな仕事してるの?」
「え?」
少しの沈黙のあと、YUMAがゆっくりと返す。
「……普通の会社員だよ。でも、たぶん君とはぜんぜん違うタイプだと思う。仕事も、人との関わり方も」
「それって、どういう意味?」
「うーん……君は、真面目で頑張りすぎちゃう人に見えるから。僕はもっと、適当に流してる。うまくやるために嘘つくこともあるし、誰かに嫌われても気にしないフリができる」
「ふーん……そういうとこ、ちょっとずるいね」
「そうかも。でも、そんな自分のこと、ずっと嫌いだった」
いつもは軽やかなYUMAの文字が、少しだけ重く感じた。
「でも君と話してると、そういう自分を忘れる。少しずつ……ちゃんとした自分でいたいって思う」
どこの誰かも知らないはずなのに、YUMAの言葉にはなぜか嘘がない気がした。
むしろ、正直すぎるくらいだった。
「不思議だね。顔も本名も知らないのに、君のこと、信じたくなる」
「それは……僕も同じ」
画面の向こうで、YUMAが息を呑んだような気がした。
奏は思わず、ぽつりとこぼした。
「……君となら、会ってもいいかもしれないって、最近思うんだ」
その言葉に、時間が止まる。
部屋の明かりの下で、悠真はゆっくりと手を止めた。
モニターの画面には、奏の小さなアバターが、こちらを見上げるように座っている。
(……やっと、ここまで来た)
心を閉ざしていた奏が、はじめて外の世界に目を向けた。
それは、確かに嬉しいはずなのに――なぜだろう、胸の奥が締めつけられる。
(俺だって名乗りたい。会いたいって言って、駆け出したい)
だけど、もしここで正体を明かしたら……
奏は、今のやわらかい表情を見せてくれるだろうか?
思い出すのは、入社当時の奏。無口で、少し人見知りで、でも目の奥に芯の強さを秘めていた。
あの頃、ただ一度だけ言葉を交わした彼の声が、いまも耳に残っている。
(もしあの時、もっと近づけていたら。もっと、君を守れたのかな)
画面の中のSOUが、再び言った。
「……急にこんなこと言って、ごめん。変だよね」
「変じゃないよ」
悠真はそう返したけれど――その夜、眠れなかった。
翌日、彼はひとつの決意をする。
自分の代わりに、奏と会う“誰か”を立てること。
いま断ったら、また奏の心が壊れてしまう。このままでは、きっとまた同じ事の繰り返しになる。
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