第8話:「信じたい、その先へ」
夜の部屋。
灯りも点けず、カーテンも閉じたまま。ベッドの上で、奏は静かに膝を抱えていた。
胸の奥が、ざわざわと波打つ。
健吾の言葉。
「独占欲が強い」「縛って苦しめる」――そして「いずれ、君も」。
(……そんなわけ、ない)
何度も否定しようとするたびに、その言葉が脳裏をよぎり、心を濁していく。
手の中にあるシャツ。淡いブルーの、爽やかな色。
あの日の悠真の笑顔と、その優しい声が重なる。
(“君らしい”って……そう言ってくれた)
けれど――それがもし、手に入れるための言葉だったとしたら?
(……いや、違う。信じたい。けど……)
心の中で、光と影がせめぎ合っていた。
そのとき、スマホが震えた。
【悠真:今日はゆっくり休めてる?明日、また会えたら嬉しいな。】
その文面には、何も変わらぬ穏やかさがあった。
だけど今の奏には、それが優しさなのか、それとも……見透かされた支配なのか、すぐには判断できなかった。
「悠真……君は、本当は……どんな人なの?」
数日後、夜の公園。
夜風が吹き抜けるベンチに、悠真は一人座っていた。
落ち着かない手つきでスマホを握りしめている。
そこへ、ゆっくりと奏が現れた。
「……来てくれて、ありがとう」
奏は頷いた。表情は、どこか迷いを含んでいる。
「話したいことがあるの」
「……うん。俺も、ちゃんと話したい」
一瞬の沈黙のあと、奏が切り出す。
「健吾さんに……会った」
悠真の顔に、はっきりと緊張が走った。
「彼、君のこと……色々、言ってた。
独占欲が強いとか、人を苦しめるって」
「……っ」
悠真は目を伏せた。そして、ゆっくりと口を開く。
「……奏。俺は、正直に言う。
確かに、過去に誰かを傷つけたことはある。好きになると、周りが見えなくなって……無意識に、相手を追い詰めてた。でも健吾とは付き合ってない。本当に友達としての付き合いだったんだ」
風が、ふたりのあいだを通り抜ける。
「でも――だからこそ、君には、そんな風にしたくないって、ずっと思ってた」
悠真の瞳は真っ直ぐだった。嘘も、飾りもなかった。
「君が笑ってくれるなら、どんな距離感でもいい。
手を繋げなくても、隣にいられなくても、君の気持ちを大事にしたいと思ってた」
奏の目に、ゆっくりと涙が滲む。
「……ほんとに? 本当に、縛ったりしない……?」
「しない。俺は、君が自分の足で前を向けるように支えたい。……それだけが、今の俺の願いなんだ」
奏は顔を伏せ、肩を震わせながらぽつりとつぶやいた。
「……あの日、君がくれたシャツ、まだちゃんと持ってる。
毎晩、迷った。でも……そのシャツに顔を埋めて、やっぱり、君を信じたいって思った」
悠真の手が、そっと奏の手に重なる。
「信じてくれて、ありがとう」
そして――静かに、優しく、ふたりの唇が重なった。
冷たい夜風の中、確かなぬくもりだけが、そこにあった。
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